孤独を抱える人。
孤独が心を曇らせる。
孤独について書いて見ようと思う。
孤独というのは誰にでもある。
何かの条件を満たした時に、きっと顔をだすだろう。
しかし、本人も知らずのうちに心に居座っていて、ずっと抱えてきた孤独というのは心を曇らせてしまう。
友人関係、恋愛、仕事など、様々な所で影響してくる。
自分自身もその一人だったから、この気持ちがよくわかる。
すごく簡単にいうと「寂しい」。
とにかくやり場のない寂しさを、本人もどこに向ければいいのか、分からないまま生きていて。
抱えているものが、寂しさなのかも分からず両手で抱えている。
この寂しさがやっかいで、人間関係では特に生きづらさとなって顔を出す。
正直こんな孤独なんか見たくもない。
自分の中にこんなに悲しい、寂しい孤独な気持ちがあるなんて感じたくもない。
だから、この孤独を見ないようにしたいから。
嫌いな人でも、孤独を埋めてくれさえすれば好きだと思い込もうとしてしまう。
心の底では「こいつ嫌い」と思っているのに、「親友」だと思って一緒にいたり、「ここが居場所だ」と自分の気持ちに嘘をつく。
本当は「気持ち悪くなるくらい嫌い」なのにだ。
例えば、すぐ怒るワガママな人が居たとする。
この人は当然理不尽な事も言ってくるだろう。
しかし、孤独があって離れられない人もいて。
理不尽を言われても、この人の言い分にも一理ある、この人は悪い人じゃないと「ヘドが出る程嫌いなくせに」一緒に居る事を選ぶ。
まるで、親に虐待や暴言を吐かれ続けても、足にしがみついて離れない子供の様に。
実際に子供の頃にこのような経験をしている人も多いように感じる。
要は心に抱えた「孤独」を埋めたい。
ただそれだけ。
とにかく自分自身が、存在自体が不安なんだ。
そうやって、無意識に「親友だ」「良い人だ」という蓋を作り、その作り出した気持ちを感じる事によって。
その子供の自分を感じないで済む、そしてその子は冷たい牢獄に閉じ込めてしまう
こうなると、意識しない限り気づくことは難しくなる。
何故かといえば、自分と子供の自分の距離をとっているから。
無意識とはそれほど気づきにくい。
人間の心の中には沢山の自分がいる。
この自分との距離に気づかなければ、一生気づくことはないだろう。
辛い時は、辛いでいい。
生きていると辛くなることは必ずあるもの。
そんな時は、そのままその気持ちを感じる事だ。
そして、その気持ちは口に出して言う。
それと、自分にとにかく寄り添うこと。
肉体的な疲れだって、何らかの発散をしなければ体は壊れてしまう。
心だってそう、言えずに溜め込むことが良くない。
溜め込むとどうなるか、それは体や心を壊すという事につながる。
溜め込むときっとこう考える。
不満を言えないから、どういう理由をつければこの感情を感じないように出来るか。
無意識に不満を閉じ込める方法を探そうと勝手にしてしまう。
そして「この人の言う事も一理ある」「自分にも落ち度があるからしょうがない」と理由をつける。
そうじゃない、ちゃんと言葉にして出すことが大事だ。
話を聞いて貰えるなら、聞いてもらった方がいい。
声に出すことも大事。
ただ、話を聞いて貰う人はキチンと選ぶこと。
そして、1人の時間があれば「自分はこんな気持ちなんだ」「こんな事を思ってたんだ」「それは辛いに決まってるよね」と寄り添ってほしい。
ちゃんと自分が自分に寄り添い、気持ちを感じきって欲しいと思う。
この感情に気づがず、寄り添いもせず、ずっと溜め込んで自分を隠せば、苦しみはなくならない。
後から「もしかしたら自分は気持ちを押し込めてきたのかもしれない」と思うキッカケがあればいいのだが、そういう人ばかりではない。
ずっと人間関係で苦しむことになりかねない。
良い子でいなくていい。
何故苦しいのか考える事は大事だと思っている。
何も考えずに、自分の人生に絶望しながら生きていても何もいい事が無いからだ。
何もいい事が無いというと誤解されるかもしれないので、言い換えると「いい事があるのに気づけない」「いい事が起こるようにエネルギーを使えないから」である。
人に依存して文句ばかり言っていても、良い事なんか気づかないし、起こらない。
自分の環境はどうだったか、この気持ちはどうして出てきたのか。
目の前の出来事はどういう状況で、その人とはどういう関係なのか。
しっかりありのままを見て、受け入れる。
うまくいってない関係を「うまくいっている」と言い続けても意味はない。
そういう事に気づくこと。
そして大事な事が「いいかげん」になること。
いい加減というと何か時間も守らず、適当に生きればいいというイメージが出てくる人もいるかもしれない。
そうじゃなくて「良い加減」という事だ。
自分にとってどのくらいが良い加減なのか知る事。
自分には何が出来て、何が出来ないのか知る事。
自分は良い加減で生きていいと知る事。
いい加減を知らないと、エネルギーを自分が生きづらくなるように使ってしまう。
そして決まってそういう時は、自分か出来る事が少なくなり、視野が狭くなる。
だから、少しミスをすれば「自分は何もできない」「自分は価値がない」「自分軸がない」と感じ、自分責めが始まる。
人間なんて産まれてから、死ぬまで数え切れないほどのミスをする。
でも、自分の存在さえ不安に感じているから、ミスをすれば、さっき書いたようなセリフを、自分に投げつけ責めてしまう。
特に自分軸なんて、出来事の解釈次第で変わってしまう。
自分は「無理やりやらされている」と感じるのか、「必要だからやっている」と感じるのかでも、同じ出来事なのに変わってしまう。
解釈の仕方だけだ。
そこを、自分の気持ちを感じて、自分に寄り添って、自分は何を思っているのか知ることで「自分はこういう人間だ!」と自分軸を作ってほしい。
人間が持っているエネルギーが決まっているとして、例えば100エネルギー持っているとする。
勘違いで90を自分が生きにくくなることに使っていれば、それは生きにくいのは当然。
解釈により良いも悪いも、どっちにエネルギーを使うか決まってしまう。
「生きづらさ」というのは「自分の中の声」を無視をして、受け入れない事を積み重ねてきたモノだ。
きっと「〜であるべき」「〜でなくてはならない」「〜しなければならない」といつも自分を律して、気持ちを押し殺して我慢をしてきたのではないだろうか。
もう、そんなに我慢しなくていい。
もう、そんなに頑張らなくていい。
とにかく「良い子でいなくていい」ということ。
自分の中の声を無視し続け、良い子でいなきゃ「認められない」「愛されない」「また独りぼっちだ」と無理をして頑張らない。
自分の声を聴き、それを実際の行動として表すこと。
心の中の自分の望みをできる範囲でいいから叶えてあげること。
どれだけ辛い思いをして、何千日、何万日を乗り越えてきた、この自分を受け入れなければ、自分が可哀想すぎるし、自分に失礼でしょう?
自分が自分に寄り添わなくて、他人や他の何かに寄り添ってくれと求めても、辛さはなくならない。
急に変われと言われても無理でしょう。
すぐには無理かもしれませんが、気づいて自分と会話をしていくことで、自分の気持ちに気づき。
そして自分の考え、時には勇気も必要になるかもしれません。
行動や生活を少しづつ変化させていくことで変わってくると思います。
自分の事を大事にしてあげてください。
それでは、今日はここまで。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。