喜ばせ屋さん。
承認欲求を満たしたい。
承認欲求の続きのような感じだが、また書いていこうと思います。
喜ばせ屋というのをご存じだろうか。
間違ってもお金をくれる人とか、何か買ってくれる人ではない。
そんな人がいたら、まっさきに知り合いたいものです。
やたらと人を喜ばせようとする人。
何故そうなるのかといえば、これも孤独や寂しさが関係していると思う。
承認欲求が強すぎて生きづらさに繋がっている。
他人に承認されるかどうかで自分の価値が上がったり、下がったりして。
他人に自分の価値や幸せをゆだねている。
こんなに生きづらい事はない。
自分の価値を、人生の価値を他人に決めてもらうという事になる。
だから普段から人の目が気になって仕方がない。
喜ばせ屋も心の穴をとにかく埋めたい、そう思っている。
常に目を気にして、どうしたら認められるかを考えている。
まだ、子供のままで。
子供が親に「認めて」「気にして」と求めるのと同じだ。
大人になりきれないまま、大人になったような状態、自分の気持ちや感情の責任を自分でとれないということ。
そうやって周りの言う通り、思い通りになる事を選択してきたということ。
孤独の記事でも書いたが、自分の気持ちを無視し続けている。
そうやって心を病んでいく人も多いのではないかと思う。
喜ばせたいという欲求は麻薬と同じ。
周りに認められないと自分の価値を感じられないという事は、常に喜ばせていないと不安で仕方がない。
嫌々人の顔色を気にして喜ばせる人と、自分から進んで喜ばせる人の二種類あると思う。
嫌々人を喜ばせる人はこの記事で書いていることなので、読んでない人は読んでみて欲しい。
自分から進んで喜ばせようとする人も似ているのだが、嫌々ではなく「親切心」から喜ばせようとする。
実際には「親切をしよう」と思い込んでいるだけで、必要以上に親切をしようとする。(自分を持っていて、親切をする場合は喜ばせ屋ではない)
そうする事が自分の価値で、自分が辛い思いをした経験があれば、辛い人を助ける事が価値になる。
この想いは良い方向に使えれば自分の人生を豊かにしてくれる。
しかし、心が整っていないまま、相手に子供の自分を投影して「自分」を助けようとしていると、辛さが自分を襲ってくる。
人はそう簡単に自分の思い通りにならないものだ。
でも、喜ばせ屋は自分が満たされたいから親切をしている、だからいくら「親切」だと思っていても。
自分が満たされない行動をされると耐えられない。
例えば、自分から近づいていって、親切心で話しを聞いても「アドバイスをしたのに言う事聞いてくれない」「こんなに話しを聞いてあげたのに」と不満を爆発させる。
良い人になりたくて、自分を満たしたいという気持ちで近づいてしまう。
本人ははそうは思っていないと思う。
自分が良いと思った事でも、上手くいかない事は起こる。
それに耐えられない。
多分本人もそれは分かっている事なんだと思うが、自分の「満たされない」で見えなくなってしまう。
不満を抱えながら良い人を演じている。
2種類のタイプがいると思うと言ったが、どちらも基本的に普段から人の顔色を伺っている。
怒られないように、ダメな自分にならないように、細心の注意をはらい行動している。
これではダメだと思いながら自分に勇気がもてない。
そもそも、良い人というのはどういう人なんだろうか。
自分に問いかけて欲しい。
例えば、「相手のために都合よく動く人」が良い人と言えるのか?「他人に振り回されて疲弊する人」が良い人なのか?
自分の中の良い人とはどんな人なんだろうか?
自分では良い人になっているつもりかもしれませんが、相手にとったら「都合の良い人」で「自分が無く」「居てもいなくてもよい人」な事がほとんどで、都合よく使えるから一緒に居るのかもしれません。
そんな人も結構います。(本当に感謝してくれる人もいます。そういう人は大切にしてください)
もし、自分の不安、ダメな自分、という不安から良い人を演じているのなら。
あなたの事なんか、そこまで気にして感謝なんかされない事がほとんどではないでしょうか。
相手の都合の良いように行動しても、自分の不安を打ち消すように行動しても、相手からしたら良い人ではないのです。
良い人ではなく「自分らしい人」を目指してみてください。
そして、自分の感情に蓋をし過ぎないようにしてください。
今日はここまで。
貴重な時間でこのブログを読んでくれて、ありがとうございました。